「はぁっ、はあっ、はあっ、はぁ・・・・・・」
息を切らして、は膝を曲げる。
ガイアスに言われるがまま、ほぼ全速力でここまで走ってきた為、体が空気を欲していた。
気温は零下のはずなのに、汗がつつと額を流れた。
「―――聞かせてもらおうか」
「・・・・・・何、を・・・・・・」
さすがと言うべきか、ガイアスはまったく息を切らしていなかった。
問われ、は辛うじて顔を上げる。
「武器も持たずにあんな所をうろついていた理由だ」
ガイアスの瞳には、有無を言わせぬ迫力があった。
こくりと一つ唾を飲む。
「・・・・・・聞こえたのよ」
「聞こえた?」
「あの子の呼ぶ声が、私には聞こえたの。
痛い、苦しい、助けてって泣くあの子の声が」
「・・・・・・お前にはあの魔物の声が聞こえるというのか」
「ええ、そうよ」
「しかしそれは・・・・・・」
言いかけて、ガイアスはを見た。
彼女の細い肩には一枚の薄い外套だけが掛けられていて、
寒さの為か、がたがたと震えていた。
「・・・・・・いや、今は場所を移そう」
己の外套をに掛けてやると、ガイアスは空を見上げた。
灰色の雲がものすごい速さで流れていく。
吹雪が来そうだった。
街の外れにある、ザイラの森の教会。
見上げればすぐそこにカン・バルクの城が見えるのだが、
予想よりも天候のくずれが早く、ガイアス達はこの場所に逗留を余儀なくされていた。
「・・・・・・吹雪いてきたな」
窓の外は一面白に埋め尽くされていた。
カン・バルクで天候が急に崩れることはあまり珍しく無かったが、
ここまでひどいのは久しぶりであった。
ガイアスの手元で、トポトポとお湯が小気味良い音を立てる。
カップを二つ用意すると、ティーポットを手にガイアスは後ろを振り返った。
火が赤々と燃え上がる暖炉の前には、毛布に包まったが蹲っている。
南の生まれのためか、はめっぽう寒さに弱かった。
「これは・・・・・・?」
食器を置いたサイドテーブルに彼女を促すと、
が小さく首を傾げた。
ポットからは暖かな湯気と共に良い香りが立ち上っている。
「紅茶だ。体を芯から温めるのは紅茶が一番良い」
「本当。それに美味しい・・・・・・」
一口、二口と紅茶を飲めば、体が内側から温まるのを感じた。
カップの中身はすぐに空になってしまったが、はほっと息を吐く。
先ほどまでとはうって変わって、頬に赤みが差していた。
「あの魔物は、魔装獣という」
「魔装獣?」
「ああ。先の戦争で、ただ戦うためだけに作られた魔物の名だ。
主が死んだ後もその闘争本能に任せて各地で戦い続けているという」
が会ったのは、その中でもシュヴァイスという名の魔装獣である。
ガイアスが話を始めると、気になっていたのか、身を乗り出すようにしてが問い返した。
稀代の獣隷術士が生み出した、戦うほどに強くなる6体の魔物は有名な話で、
ここ、ア・ジュールでも何体か確認されていた。
しかし強者を求めて徘徊する彼らの多くは、人里離れた場所に生息しているはずだった。
それが森の入り口に程近いところまで来て、を呼んだという。
「そう、だから・・・・・・」
「お前の母はキタルの出なのか?」
キタル族とは、ア・ジュールにある一部族の名である。
魔物と会話し手なずけることによってそれを使役する、
所謂、獣隷術に長けているのは、この一族の者たちであった。
はその血を多少なりとも継いでいるのではないだろうか、とガイアスは考える。
もっとも魔装獣の声を聞くことができた者の話など、ついぞ聞いたことはなかったが。
「分からない。
私、父さまがどこからか連れてきた赤子だったらしいの。
母さまは私を生んですぐ亡くなったって・・・・・・。
でも・・・・・・たぶんそうだと思うわ」
そこまで言って、ははっと顔を上げた。
顔色が面白いくらいに青ざめている。
「っ、申し訳ありません!私ったら、陛下になんて口を!!
私、敬語にはあまり慣れてなくて、
さっきも・・・・・・!」
「いや、いい」
敬語はその人との距離を感じてしまって嫌なのだと、は言った。
ガイアスとて敬われたいが為に王になったわけではない。
苦手ならば無理して敬語を使う必要はどこにもなかった。
「けど・・・・・・」
「本人が良いといっているのだから、
なんの支障もないと思うが」
そうは言っても、ガイアスはこの国の頂点に位置する者である。
場合によっては不敬罪として処罰されることもある。
もそれはわきまえていた。
躊躇いがちに彼を見上げるが、ガイアスの答えは依然として変わらなかった。
ならば言葉に甘えるしかあるまい。
「・・・・・・そうね。
ありがとう、ガイアス」
困ったように、しかしどこか嬉しそうに微笑むに、
ガイアスは紅茶を飲み干して立ち上がった。
確認したい事は他にもあったが、
人には得てして、他人が容易く触れてはならぬものがある。
「この部屋は好きに使うといい。
それと・・・・・・あの森の奥には極力近づくな。
あれは軍でも手を焼くほどの魔物だ」
「―――待って!!」
別に用意した部屋へと下がりかけたガイアスの背をが呼び止めた。
よもやガイアスがそのまま去るとは思っていなかったのか、
僅かな動揺が、背中越しに伝わってくる。
「どうした」
「・・・・・・あなたならもう調べはついているのでしょう?」
「・・・・・・ああ」
が言っているのは、ウィンガルが調べてきた情報の事で、
そしてガイアスが確認したい事とは正にその事だった。
ガイアスが頷きを返すと、
はやっぱり、と今度は泣きそうな顔をして小さく俯いた。
指で触れていたのは自身の赤い髪だった。
「この色」
言いながら、は触れていた髪の一房をガイアスに見えるように摘み上げた。
炎と見紛うほどに鮮やかな緋色の髪。
それはの体の一部で、そして長年慣れ親しんだものである。
けれど、
「珍しいでしょう?」
「ああ。
だが、お前の一族の中ではそう珍しくもなかろう」
「そうね。
ヴェルメリオ族は火の部族と名うての一族。
他にも理由は色々あるけれど、
一族の者は皆、赤銅色の髪をしているわ。
でも・・・・・・」
こんなに明るい色は初めてだった、とは呟く。
「私は、父さまの娘であることを疑ったことなど、一度だって無かった。
なのに長老達は・・・・・・父さまが亡くなったとたん、
私が・・・・・・私が、父さまの本当の娘ではないと・・・・・・っっ!!」
もう、泣きそうな顔はしていなかった。
わなわなと震え始めた肩を押さえ、はガイアスを見つめた。
父の娘である事は、にとって誇りであった。
それを一族の長老達は侮辱したのだ。
「・・・・・・長老達が私から取り上げたものはそれだけではなかったわ。
彼らは、父さまが愛した一族の長の座を、
父さまの甥に譲り渡すと言ったわ。
よりにもよって、・・・・・・あの男に・・・・・・!!」
いまや、の瞳は怒りで暗くぎらついていた。
震える肩はもはや抑えが効かず、爪が食い込んだ肌には薄く血が滲んでいる。
「エーリヒの本当の死因は病気ではない、か・・・・・・・」
瞬間、の肩が、びくりと大きく跳ねた。
ガイアスは目を通した書類の内容は全て、空で言うことができた。
報告書にはこう、書いてあったのだ。
ヴェルメリオ一族の長エーリヒは、彼の甥ルシオを魔物から庇って死んだ、と。
背中に、深い傷を負って。
背中に傷を負うことは、戦士として一番不名誉なことでもある。
しかもヴェルメリオ族のような古い因習を尊ぶ一族ではなおさらの事で、
その事実は長老達によって隠された。
ただ、病死とだけ報告に書かれて。
場合が場合であるので、その因習が決して当てはまる筈もなかったが、
それを隠した長老達にも何か思惑があったのだろう。
「そうよ・・・・・・。
父さまはあの男を庇って死んだのよ。
あの日は、ほぼ一族の男達総出で魔物退治に出かけた日だったわ」
ヴェルメリオ族にはその腕を見込まれて、多く依頼が持ち込まれる事がある。
あの日も近辺の村から持ち込まれた依頼の一つを父は請け負っていた。
凶暴化した大勢の魔物が村を襲い、尋常ではない被害が出ているので助けて欲しいと。
その内容と緊急性から判断して、エーリヒ達は早急に準備をして出かけていった。
しかし一族総出で出かけたにも拘らず、は里から一歩も外に出ていなかった。
直前まで風邪をひいて寝込んでいたというのも理由の一つではあったが、
魔物たちの声を聞き、彼らと心を通わせる事のできるは、
彼らに弓引くということに躊躇いを覚えたのだ。
当時の事を思い出し、目を瞑ったは口元を強く引き結んだ。
私は、どうしてあの時、彼らに付いて行かなかったのだろうか、
私は、どうしてあの時、父の傍にいなかったのだろうか、
どうして―――。
自問自答を繰り返しても、得られるものは何もなかった。
否、一つだけあった。
それは父が死ぬ原因を作った従兄のルシオが憎いという、気持ち。
父の形見の銀の笛が、今はずしりと重く感じた。
「最後まで父さまはあいつを恨んじゃだめだって言ってた。
でも、そんなの無理!!
父さまほど一族の皆を思って生きてきた人はいないわ!
今はまだ小さな部族だけど、ゆくゆくは王を支えられる程の部族にしようと・・・・・・。
あの男は、それを台無しにしたのよ!!」
ルシオはの偉大な父と同じ血を継いでいるにも拘わらず、
その素行に問題のある男であった。
何が気に食わないのか、槍の鍛錬は平気でサボるし、
里の中でも落ちこぼれ連中を集めて悪さをする事も多々あった。
だからはこの従兄弟があまり好きではなかった。
けれど、エーリヒは彼を買っていたようだった。
父はに度々諭していたのだ。
あいつはあんな男ではない。
今は唯、自分の一番したい事が分かっていないだけなのだ、と。
だからこそ、だからこそ、父は命を賭したのだろう。
敵の前でふざけて身を危険にさらした甥を庇って。
「・・・・・・私は父さまの力になりたかった。
でも、もう駄目ね・・・・・・」
もはやは疲れ果てていた。
人を憎む気持ちなど、本来は持ち合わせてなどいなかったし、
長く続くはずがなかった。
全てを吐き出した今、あるのは、唯唯、深い悲しみであった。
「諦めるのか」
ガイアスの言葉に、はぶんぶんと首を大きく振る。
「いいえ、いいえ・・・・・・!
私は、父さまの愛した一族を守りたい!!
たとえ皆が私を認めてくれなくたって、
私は、皆が大好きだから!!」
「なら、それを伝えればいい」
「え・・・・・・?」
「お前が愛する一族の者は、お前の心が伝わらないほど愚かなのか?」
「・・・・・・いいえ」
言われ、再び首を大きく振った。
確かにそうだった。
彼らがそんな者達でないことは、が一番良く知っていた。
「なら、お前の気持ちを彼らに話せばいい」
「ガイアス・・・・・・」
張り詰めていた気が、すっと和らいでいくのを感じた。
ガイアスの一言は、を先の見えぬ闇の中から救ったのだ。
はじっとガイアスの瞳を見つめた。
ガイアスも、こちらをじっと見つめていた。
二人の視線が交差する。
「私・・・・・・頑張ってみるわ」
「ああ」
今度こそ、話は終わりだった。
ガイアスは部屋に備え付けてある棚から傷薬を取り出すと、
それをの右の肩の傷に容赦なく塗りこんだ。
傷に染みたのか、がくぐもった声を上げたが、跡が残るよりはマシであった。
もう片方の肩にも塗ろうとしたところで、の手が伸びてくる。
後は自分でやるということなのだろう。
「私、皆が貴方を支持する理由が分かった気がする」
「・・・・・・」
渡された薬を塗り終えて、はガイアスを見た。
返事はなかった。
それも、この男が王たる所以なのであろう。
はくすりと笑う。
「おやすみなさい、ガイアス」
「・・・・・・おまえのその目」
「え?」
は小さく首を傾げた。
あまりにもガイアスが低く呟いたので、良く聞き取れなかった。
ガイアスの瞳が、ひしとこちらを見据える。
「俺はおまえと同じ目を持つ人物を良く知っている。
奴は誰の前であろうと臆することなく立ち向かう男だった。
・・・・・・おまえは、間違いなくエーリヒの娘なのだろう。
俺が、保証しよう」
流れる血脈ではなくその本質において、
は確かに父親の血を受け継いでいる、とガイアスは言う。
言葉が出なかった。
堪え切れずに、涙が溢れてポロリと落ちる。
「ありがとう・・・・・・」
「もう寝ろ。
明日は吹雪が止んだらすぐ出る」
扉を閉め、ガイアスは部屋を退室してしまったが、
はもう一度、ありがとう、と呟いた。
笛はもう、重く感じはしなかった。
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