カプワ・ノールの対岸の町、カプワ・トリム。
騎士団の船に引き上げられて、次に降り立ったのは、
青空が眩しく、賑やかな街並みが続く港町だった。
執政官により圧政が敷かれていたカプワ・ノールとは何もかもが違う。
ざわざわとした喧騒が、いっそ耳に心地よかった。


「はぁ、あの服、新調したばかりだったのに散々だわ」


石畳に沿って連なる露店をぶらぶらと見物しながら、は独り言ちる。
皆と別れ一人、服を着替えに行ったは良いものの、
この間買ったばかりの服は、炎に巻かれる中あっちこっちに引っかけて、
仕舞いには海に飛び込んでびしょ濡れで、もうとても着れたものでは無かった。

代わりにと荷物から取り出した服は、最初にアレクセイから貰った揃いの上下で。
いつ触っても手触りがやわらかで上質な生地のそれは、
任務の最中に着るにはそぐわない。


「他に服もないし、仕方がないわよね」


流石に隊服を着るわけにもいかないし、と自分を納得させることにする。
ブローチだけは無くしたくないので、外して荷物に丁寧に仕舞い込んで置いた。
ユーリたちへの説明はフレンに頼んでおいたので、特に急ぐ必要もない。
海風に髪をなびかせて、はのんびり待ち合わせの宿屋へと歩く。

宿の前の道に差し掛かったところで、向こうにユーリの姿が見えた。


「何してるの?ユーリ」
か」


ゆっくりと振り返ったユーリの顔に、苛立ちと焦燥感が透けて見えるように感じる。
何かあったのだろうか。
ふ、と直前に降ろされたユーリの拳に目をやって、は眉を顰めた。


「・・・・・・その手」
「いや、これは・・・・・・。
 なんでもない」


ユーリはから見えないように手を隠そうとするが、はもう見ていた。
壁でも殴りつけたのか、拳の部分に擦過傷ができている。


「なんでもない訳ないでしょう。
 ほら、手出して、治療するから」
「・・・・・・」
「早く」


僅かな擦り傷でも、放っておけば化膿する場合がある。
有無は言わせないと手を差し出せば、ユーリはしぶしぶその手を重ねた。


「おまえ、治癒術なんて使えたっけか」
「使えないわよ」
「なら・・・・・・」


ならば治療はいらないとユーリが言い終える前に、
は素早くポーチから水筒と傷薬を取り出した。
傷口を水で洗い、患部に傷薬を塗っていく。
ガーゼに包帯を巻いてもいいが、そこまで大袈裟にしたくないだろう。


「ま、初歩的だけど。
 今のあなたにはこれで充分でしょう」
「・・・・・・」


ユーリの返事はなかったが、気まずそうに眼をそらしたからして、
図星であることに間違いはないようだ。
にこりとユーリに微笑みかければ、ユーリは大きく溜息を吐く。


「はあ・・・・・・、魔核の手掛かりでも探すか・・・・・・」
「付き合うわ」
「いいのか?」
「ええ、気分転換も必要でしょ?」
「・・・・・・そうだな」


行き場のない怒りや、苛立ちを何でもかんでも溜め込んでしまう前に。

ユーリは色々なことを背負いすぎる嫌いがある。
ユーリと過ごした年月は、ユーリが騎士団にいた少しの間だけだったけれど、
はちゃんと分かっていた。
が小さく首を傾げて散策に誘うと、ユーリは表情を和らげて、ふっと笑った。














「その服、どうしたんだ?」
「ああこれ?この服は・・・・・・ある方に頂いたものなの。
 他に着るものを持ってきていなくて、とりあえずってとこ」


街をぶらぶら歩いていると、ユーリが服について尋ねてくる。
先程までは動きやすいラフな格好だったから、気になったのだろう。
汚したくないので一時的に、と告げればふーん、と気のない返事が返ってくる。


「・・・・・・今度、服買いに行くか」
「本当?ユーリ、センス良いから楽しみだわ」
「・・・・・・ああ」


少し間をおいてのユーリの提案に、は一も二もなく頷いた。
以前、騎士団の非番が重なって一緒に買い物に行った時、
髪を梳く櫛のデザインを悩んでいたら、ユーリが良い物を選んでくれたのだ。
真ん中に嵌め込まれた紫の石を中心に、花模様の透かしが入ったその櫛は、
が見ていた物よりずっと素敵で、一目で気に入り、購入してしまった。

センスの良いユーリが見立ててくれるなら、きっと素敵なものが買えるに違いない。
その日が今から楽しみだった。


「あ、あのおっさん・・・・・・!」
「え、ちょっとユーリ!?」


船着場に続く階段に差し掛かったところで、ユーリは何かに気づいたようだ。
声を上げると、が止める間もなく、そちらに走って行ってしまう。
その後を慌てて追いかければ、誰かと揉めている様だった。


「ユーリ、どうしたの?」
「あんたは・・・・・・!」
「なんだ、二人とも知り合いなのか?」


ユーリと話をしていた人物は、ダボっとした紫の羽織を羽織り、
顎に無精ひげを生やした30代ぐらいの男だった。
うさん臭さを全面に表した様な出で立ちではあるが、よくよく見れば隙が無い。


「え?そうね・・・・・・どうだったかしら・・・・・・?」


騎士ではなさそうなので、ギルドの人間だろうか。
記憶の奥底を攫ってはみるが、に覚えはなかった。
向こうはこちらを知っているようなので、
もしかしたら記憶を失う前に会った人物なのかもしれない。


「や、おっさんの勘違いだったみたい。気にしないで」
「そうなのか?」
「もしかしたら会った事があるのかもしれないのだけど・・・・・・」


そこでは再び男―レイヴンを見る。
余り頓着していないのか、ぼさぼさの髪を高い位置で一つに括っており、
その瞳は、青空のような水色で。

いつも人をおちょくってはくるが、こちらを見る水色の瞳は変わらない―――


「えっ、ちょっ・・・・・・」
「おい、!」


―――と、二人の男の慌てたような声で、ははっと我に返った。
いつの間にかはレイヴンににじり寄っていたらしい。
すぐ目の前にはレイヴンの顔がある。


「え、あ、えっと・・・・・・ごめんなさい」


あまりの至近距離に慌ててレイヴンから体を離し目を逸らすと、
どちらからかは分からないが、溜息を吐くのが聞こえる。
不思議に思いそちらを見たが、二人からは特に違和感は感じられなかった。

過去の事を思い出そうとする時、いつも頭がずきりと痛む。
その事をアレクセイに相談してみるものの、記憶喪失は一過性のもので、
そのうち思い出していくのではないかと言っていた。
日常生活に支障がなければ、無理に思い出す必要もないとも言っていたが、
今のような状況になった場合、一体どうしたら良いのか。


「―――ごめんなさい、思い出せないわ」
「いいのいいの、そんなに気になさんな」


途方に暮れたような顔でもしてしまったのか、
レイヴンがこちらを気遣う様におどけて見せる。
真実はどうであれ、のレイヴンに対する印象は悪くはなかった。


「それで、おっさんはここで何をしてるんだ」
「さっき物騒なギルドの一団が北西に移動するのを見かけたもんでね。
 騎士団がこの街にいるってぇから伝えにいこうかと」
「・・・・・・物騒か、それって、紅の絆傭兵団か?」
「さあ?どうかな」


話が一区切りついて、ユーリがレイヴンに尋ねれば、
ギルドの集団が移動していくのを見たとの事。
ここから北西と言えば、地震によって滅んだ街、カルボクラムがある。
廃墟になって久しく、人が立ち入る場所ではない。


「・・・・・・フレンには私から伝えておくわ」
「ん?お嬢さん騎士団の人間なの?」
「ええ」


隊服を着ていないため、騎士だとは思われていなかったらしい。
騎士団への伝言を承ると、意外そうな目で見られた。
服装からどこかの貴族とでも思われていたのだろうか。


「あ!ユーリ!おーい!!」
「あんの、オヤジ・・・・・・!!」


向こうの方から賑やかな声が聞こえた。
先頭にカロル、次に妙に殺気だったリタが走ってくる。
レイヴンがおっと、と肩を竦めた。


「逃げた方がいいかねえ、これ」
「ひとり好戦的なのがいるからな」
「待て、こら!ぶっ飛ばす!」


リタは今にもファイアーボールをぶちまかしそうな勢いで、
レイヴンを追いかけていってしまった。
カロルが達の前に来たところで、苦しそうに息を吐く。


「はあ・・・・・・はあ・・・・・・。
 何で逃がしちゃうんだよ!」
「あなたの周りっていつも賑やかね」
「なんだよ、それ」
「いい意味で言ってるのよ」


なんだかんだ言って、ユーリの周りにはいつも人が集まる。
腕っぷしが強く頼りになるというのもそうだが、最もたる理由は、その人柄にある。
下町の人にも慕われているとは聞いていた。
本人はそれを分かっていないのか、訝しげにこちらを見てくるので、
人差し指で肩をつんと突いてやった。


「・・・・・・逃がしたわ。いつか捕まえてやる」
「ほっとけ。あんなおっさん、まともに相手してたら疲れるだけだぞ」
「そうね、何があったかは知らないけど、
 一癖どころか二癖ぐらいありそうだわ」


どうやらレイヴンはリタから逃げおおせたようだ。
戻ってきたリタは悔しそうに歯噛みするが、ユーリの言う通り相手するだけ無駄だ。
がレイヴンの逃げた方向に目をやると、
宿屋の方から遅れてエステルがやって来た。


「大丈夫か?」
「・・・・・・少し、休憩させて、ください」


ユーリの声かけに、息も絶え絶えなエステルである。
とはいえ、ゆっくり休んでもいられない。


「ああ、じゃ少しだけな。そしたら行くぞ」
「行くって、どこに行くの?」
「紅の絆傭兵団の後を追う。
 下町の魔核、返してもらわねえと」


ラゴウを追った船の中、大量に積んであった魔核は紅の絆傭兵団の仕業だった。
言質は取れなかったが、魔核の泥棒騒ぎはバルボスが絡んでいるに違いない。
水道魔導器の魔核は下町に無くてはならないものだ。
追いかけて取り返す必要がある。
カロルがキョトンとこっちを見るので、ユーリはそう答える。


「紅の絆傭兵団が関係しているの?」
「ああ、そうみたいだ」


水道魔導器の魔核の情報は、にもまだ掴めていなかったものだ。
というのも、意図的に隠されているようで、情報が上に上がってこないのだ。
いざとなればギルドユニオンに忍び込む必要が有るかもしれない。


「足取り、つかめたんです?」
「北西の方に怪しいギルドの一団が向かったんだと。
 やつらかもしんねえ」


エステルもようやく息が整ったようだ。
ユーリと話すのを見て、は道を進み階段の手摺りに手をかけた。


「ユーリ、気をつけてね」
「ああ、も達者でな」
「ええ、また機会があったら会いましょ」


彼らの話に加わってはいるが、は騎士団の任務中だ。
ユーリ達と共に行くわけにはいかなかった。
彼らに別れを告げると、は階段を上り宿屋へと向かう。

任務としていたヨーデルの捜索が終わり、フレンとの同行はここまでである。
まずはフレンに会って暇を告げて、それからアレクセイに報告だ。
再び任務となれば、今度ユーリ達と会うのは、きっと当分先だろう。
後ろ髪を引かれる思いなのはなぜなのか。
彼らの側は暖く―――失くした記憶を想いまた頭がずきりと痛んだ。