平原の向こうに、土煙がもうもうとたちこめていた。
その煙の合間を縫うように地響きを上げて迫りくるのは、
黒い巨大な体を持った獣を中心とする、魔物の群れ。
巨大な獣は一際高い咆哮をあげると、ぐんぐんスピードを上げていった。

平原の主。
それはこの地において災害と同義語の言葉だった。





砦の外壁の縁に腰掛けて、女は愛用の武器をかちり、かちりと鳴らしていた。
一見して只の長い棒に見えるそれは女の意思によって、何度も、形を変える。

警鐘がうるさいくらいに鳴り響いていた。
災害の訪れを告げたのはつい先程であったが、
逃げ惑う人々の向こう側にはっきりと視認できるほど、大群の魔物が迫りつつある。

びゅうっと、一際強い風が吹いた。
背中に流した長い黒髪を風に弄られるがままに任せて、
女―は小さく、溜息を漏らす。


「はぁ・・・・・・まったく、あの子達は何をしているのかしら・・・・・・」


かちり、と再び武器を変形させると、は眼下に目掛けてそれをぽいっと放り投げた。
門の前の二つの点と、災害。
その間の地面に放物線を描いて落ちていくの武器は、
日の光に当てられて一瞬きらりと光り輝く。
その刃が、確かに地に突き刺さった。
それを確認しては、外壁の縁からひらりと跳び降りる。


「カウフマン、私行くわね」
「え?え、あ、ちょっと、あなたこの後の仕事は・・・・・・!」


に声をかけられて、カウフマンは慌てて振り返った。
彼女が社長を務めるギルド幸福の市場は、ギルドと帝国を渡り歩く商人ギルドである。
商人のギルドが為、魔物のはびこる地を行くときは常に護衛を用意する必要があった。
には度々、護衛の依頼をしていて、丁度今はその最中だ。
それなのに、は行くという。


「ごめんなさい、野暮用ができてしまったの」
「・・・・・・いつものかしら?」


とカウフマンはそれなりに長い付き合いで、
彼女の意図することにカウフマンが瞬時に察知できるのもその長さ故である。

が、ええ、と頷くと、カウフマンは小さく肩をすくめて返した。


「・・・・・・しょうがないわね。
 また暇ができたら手伝って頂戴」
「ええ、その時はよろしく」


ひらひらと手を振って去って行くの背中を、カウフマンはじっと動かず見送った。
ばさりと羽音が鳴り、飛んできた白いフクロウが、の肩に止まる。
その華奢な体にとてもそうは見えないが、
彼女が凄腕の騎士だという事を、カウフマンは知っていた。


「さて、当てがなくなったとなると・・・・・・」


そう、小さな呟きを漏らすと、カウフマンは眼鏡の奥の瞳をきらりと光らせた。














帰還したは城の一室にいた。
先程までのラフな服装は改め、騎士の制服に身を固めている。
机の向こう側ではいつものように、何か調べ物をしているのか、
分厚い本のページを一枚一枚丁寧にめくりながらそれを紙に書き写す、アレクセイがいた。


「アレクセイ様、・クロフォード只今戻りました」
「報告を聞こうか」


そう言いながらも、アレクセイは手を止めない。
この場所を知っているのはアレクセイと、そして一部の人間だけで、
周りには貴重な文献が所狭しと散らばっていた。


「はっ。魔物が各地で活発な動きを見せているという話でしたが、やはり・・・・・・」


その先を言うことに、は思わず躊躇する。
想定していた事態ではあったが、それがもたらすものは悪い部類だ。
普段ははっきりと物言うが言葉を濁す、それが意味することにアレクセイが気づかず筈もない。


「そうか」


一つ、それだけを漏らすと、アレクセイはインクの壷にペンを下ろした。

さらさらと物を書く音だけが部屋に響く。
いつもとまるで変わらないアレクセイの姿を見て、は再び口を開いた。


「それと気になることが一つ」
「何だ」
「この先のデイドン砦で元団員のユーリ・ローウェルと
 エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン殿下が連れ立って歩いているのを確認しました」


デイドン砦で見た二つの点。
あれは確かに馴染みのユーリとこの帝国の皇帝候補、エステリーゼだった。
過去において、二人の接点は全くなかった。
もしや誘拐か、とも思いはしたが、それはないだろう。
エステリーゼは嫌がることなくユーリについていたし、
なによりユーリがそんなことをする人物ではないことをは重々承知していた。


「ユーリ・ローウェル?」
「ご存じないですか?
 今は下町で用心棒みたいなことをやっているようですが」


一騎士団員のこと、騎士団長という最高の地位にある者がいちいち把握している筈はないが、
この人物がそれを軽々とやってのけている事をは知っている。
珍しいこともあるものだ。
聞き返すアレクセイに、は目を瞬く。

しかしそれはユーリの方に一因しているのかもしれなかった。
一度は騎士団に入ったものの、ユーリはすぐに騎士をやめてしまった。
理由を聞けば彼らしく、も止める事はしなかった。
好敵手がいなくなったのは残念ではあるが。


「いや・・・・・・そうか。
 報告はあがっている。
 エステリーゼ様の事はシュヴァーン隊が追っているので問題ないだろう」
「シュヴァーン隊、ですか・・・・・・」


シュヴァーン隊とは、帝国騎士団隊長主席シュヴァーン率いる部隊のことである。
しかし、その隊長であるところのシュヴァーンは任務でその席を留守にすることが多く、
その隊員は、明確に言ってしまえば、あまり出来が良いとは言えなかった。

アレクセイがあえて彼らを選んだ理由を図りかねて眉根を寄せると、
ぽんと、数枚の書類がの目の前に置かれた。


「それよりも君にやってもらいたいことがある」
「何でしょう」
「フレン・シーフォ小隊長が今、巡礼の旅に出ていることは知っているな?」
「はい」
「君にはしばらくの間彼の下についてもらいたい」


言われ、差し出された書類を読み進めていたの動きがぴたりと止まる。
再び怪訝そうに眉根を寄せると、は尋ねた。


「下に・・・・・・ですか。
 それはまた何故?」
「何か問題でもあるのか?」
「いえ」


そこでようやく顔を上げたアレクセイに、は首を振って寄こす。
そして胸に拳をあて言った。


・クロフォード、・・・・・・特務師団隊長。
 アレクセイ団長閣下の指示の下、直ちに任務に移ります」
「詳細は追って知らせる。
 手筈はいつもの通りだ」
「はっ」


が扉を閉める。
そこまでを見つめた後、アレクセイは広げていた本をぱたりと閉じた。
机の上で手を組んだその唇には、小さな笑みが浮かんでいて。


「未だに慣れないということか。
 ―――しかし・・・・・・」


ふ、とアレクセイの脳裏に先程が一瞬浮かべた表情が蘇った。
フレン・シーフォ。
その年齢にして小隊長にまで昇進した彼は、
確かに、とは親しい仲のようだったが・・・・・・。

我知らず眉を顰め、重なった本の間から一枚の報告書を取り出す。

ユーリ・ローウェル。
報告の際には名前までは挙がっていなかったが、
は彼が帝国の姫を連れていたという。

彼もまたとは機知の間柄だということを、アレクセイは記憶していた。

報告書を床へと放り捨て、アレクセイは立ち上がった。
じじじ、と灯りを湛えていた魔導器が音を立て消えると、彼の顔は影に落ちた。