ユーリは夢の中をずっと歩き続けていた。
そう、ここは夢の中。
ユーリがそれと気付いたのには二つ、理由があった。

一つ、海に落ちてびしょぬれの体がちっとも寒さを感じなかった。
二つ、脇腹に受けた傷から血がまるで流れていなかった。
ただあるのは、体全体を覆うようなけだるさのみ。
しかし、そのけだるささえもある時を境に綺麗さっぱり消え失せてしまった。

どこまでも伸びる白い空間は時間の感覚さえも狂わせた。
否、夢の中に時間という概念は元から無いのかもしれない。
ユーリはただ一点だけを見据えて歩き続けていた。

けだるさが消えると同時に白い空間に浮き上がった"染み"。
ユーリにはそれが見知ったものであるような気がしていた。
近づけば近づくほど濃くなっていく"染み"は段々と人の形に見えてくる。
その染みまであと数歩というところでユーリは立ち止まった。

もはや目の前にあるのは(いるのは)、ユーリの既知の人物であった。
ユーリは、彼女をずっと探していたのだ。





ユーリがその背中に声をかけると、彼女の肩がピクリと動き、
そしてゆっくりとユーリを振り返った。
白い空間に彼女の紫翠の瞳はひときわ鮮やかで。
一歩ユーリが歩み寄ろうとすると、彼女の小さな唇が動いた。


「    」


言葉を紡いだはずのその口からは何の音も発せられなかった。
それを訝しがったユーリが眉を顰めると、
まるで蜃気楼のように彼女の姿がゆらりと揺らいだ。


「待て!!!
 消えるんじゃない!!!!」


伸ばした手が彼女に触れたと思った瞬間、
ユーリの意識は急速に浮上していった。





















「大丈夫?ユーリ」


はっとユーリが目を覚ますと、
が心配そうな顔で上から覗き込んでいた。
一瞬、声に詰まったが、すぐに頷きを返すと、
は安心したように笑みを漏らした。

周囲を手早く見渡せば、状況はすぐに見て取れた。
見慣れたベッドに、見慣れた部屋。
しかしいつもいるはずの相棒の場所は空席、
いるだけで賑やかな仲間達も姿が見えなかった。
つまりは今この場所には自分としかいないということになる。

そこまでしてようやく、ユーリは自分がの手を掴んでいたのに気付く。


「いつかの逆だな」


いつぞやの出来事を思い出し、ユーリはふっと笑った。

下町の魔核を無事取り戻し、エステルの願いの元に砂漠へと向かう途中、
ヘリオードの手前では体調を崩して倒れた。
ベッドに臥せったは夢見が悪いのか、必死に宙に向かって手を伸ばしていた。
傍にいたユーリは見ていられなくて、その手をギュッと握り返したのだ。


「ふふっ、そうね」


もそれを思い出したのかくすりとわらった。


「おまえが、助けてくれたのか?」


ベッドの上に身を起こして体を見てみれば、
海に落ちる前の刺し傷も、落ちてからの擦り傷打身も、
すべてなかったかのように綺麗に治っていた。
となれば、今目の前にいるが助けてくれたに違いない。


「いいえ、あなたを海から引き上げたのはデュークよ」
「デュークが・・・・・・?」


傷のほとんどもデュークが治療してくれた、とは話す。
そしてその後の経緯も。

神出鬼没な彼が今更どこに現れようが驚かないが、
助けてくれたというのには、ユーリも少し驚いた。
命の恩人であるはずのデュークの姿がここに見えないのは、彼らしいといえるが。


「なぁ、。ちょっと聞いていいか?」
「何かしら?」
「デュークは、あいつは何を目的に行動しているんだ?」
「・・・・・・そうね」


前々からデュークの行動は気になっていた。
デュークが現れるのは決まってエアルの乱れが激しい場所。
そしてデュークが持っていた宙の戒典にはエアルを鎮める効果がある。

エアルの乱れ、満月の子の力、そして星喰みの再来。
決して無関係ではないと言えないだろう。

それを問えば、はすっとユーリの傍を離れ、
窓枠に座って静かに目を閉じた。

時間にしてほんの数秒、は再び目を開けると、
窓を外側にむかってキィと開いた。
外は既に夜の帳がおりていて、遠くには星喰みのおどろおどろしい姿が見えた。


「少し、昔話をしましょうか」


そうして、はしゃべり出す。
少し、物悲しげな瞳を湛えて。


「10年前の人魔戦争。
 熾烈を極めたあの戦争がどうやって終結したのか、ユーリは知ってる?」
「いや、詳しくは知らないが・・・・・・」
「そう、知らなくても無理はないわ。
 真相は帝国によって闇に葬られたから」


そういえばレイヴンもそんなことを言っていた、とユーリは思い出す。
魔物が始祖の隷長だったというのも、
その一部の始祖の隷長が世界の為戦ったというのも、隠されていた一つの事実だ。


「始祖の隷長が率いる魔物たちと、人。
 あまりにも圧倒的な力の差の中、立ち向かったのは一人の英雄と、その友人だった。
 二人は、ともに力を合わせ、相手を打ち倒した。
 そして戦争は終結した。
 しかし、立役者であるはずの二人はその後、行方をくらました。
 帝国の王位の証である宙の戒典を持って」


そこまで言って、は小さく息をついた。
まるでその続きを言いたくはないように。


「―――英雄の名はデューク・バンタレイ。
 そう、デュークのことよ。
 そしてその友人の名はエルシフル。
 かつての始祖の隷長の長よ」
「始祖の隷長の長!?」


そんなことは初耳だった。
仮にデュークの友人が始祖の隷長だったとして、
戦った相手は同じ始祖の隷長。
つまりは同族同士で戦ったということになる。
現長であるフェローの気難しさを思えば、信じられないことだが、
圧倒的な力を持つ始祖の隷長に太刀打ちできるのは同じ力を持つ同族のみ。
そう考えれば、納得がいった。


「世界の安寧がエルシフルの願い。
 だから彼は人間に力を貸した。
 たとえ同族と相対することになっても。
 けれども待っていたのは、裏切りだった」
「どういうことだ?」
「戦いに傷ついたエルシフルを、帝国は殺したのよ。
 静観すると約束していたにもかかわらず」
「・・・・・・だから真相が隠されたのか・・・・・・」


そうよ、とは小さく頷く。
帝国はエルシフルの力をも恐れ、その命を奪った。
それを知ったデュークは人間から決別し、宙の戒典を持ち去った。
エルシフルの願いを叶えるために。
一人、エアルクレーネを鎮めてまわっているのはその為だ。


「ねえ、ユーリ、お腹空かない?
 私、もうずっと食べてなくて、お腹ぺこぺこよ」


そこで打ち切りとばかりに、は唐突に話を切り替えた。
ユーリもそれ以上聞くことはしなかった。
考えてみれば攫われてからずっとはご飯を食べていない。
ユーリもずっと眠っていたから空腹にちがいない。
思い出したらお腹がぐぐうと鳴りそうだった。


「そういえば腹減ったな。
 なんか食うか」


そう言ってユーリが立ち上がる前にが窓枠から立ち上がり手で制した。


「私が作るから、ユーリは待ってて。
 ちゃん特製のおかゆ、ユーリも食べたいでしょ?」
「おかゆに腕も何もないと思うが・・・・・・。
 そうだな、、頼んだ」
「まっかせてちょーだい」


いきいきと台所に立って料理をするを眺めた後、
ユーリは開いたままの窓の外へと視線をやった。
すると、涼しい風が一つ、部屋の中へと滑り込む。
世界はまだ、失われてはいない。
だとすればユーリがすることはもう、決まっていた。

 
「お待たせ、ユーリ」
「お、おいしそうだな」


出来立てのおかゆから立ち上る湯気と、
出汁の聞いたスープから漂う匂いは、食欲をかき立てた。
物の見事に数分で完食すると、ユーリは食器をに返した。
すると可笑しなことに、ユーリの意識がまどろんでいく。


「少し寝なさい、ユーリ。
 傷は癒せるけど、失った体力は取り戻せないんだから。
 まだ体が睡眠を必要としているのよ」


ユーリが眠そうにしているのに気付いたのか、がそんな事を言う。
確かに生じた眠気には抗いがたいものがあった。


「そう、だな・・・・・・」


皆に心配をかけているであろう手前、眠っている場合ではなかったが、
もてこでは動きそうになかったため、ユーリはその言葉に従うことにした。
今は夜だ。
夜の間だけでも寝ればも納得するだろう。
朝早く起きて支度をすれば、そう時間のロスもない。

ユーリがベッドに潜り込むと、すぐにその重い瞼が閉じていく。


「おやすみなさい、ユーリ」


白くまどろみかけた世界に、のその言葉が小さく、ユーリの耳に届いた。