深く、深く、沈み行く水の中にユーリはいた。
抑えた脇腹から流れ続けているのは、命の源である赤い血。


「・・・・・・これ程憎まれてたとはな」


独白のように小さく呟こうとした言葉は、声にはならず、
代わりに小さな泡となってユーリの口から零れ、上っていった。


脇腹の傷はアレクセイとの戦闘でうけたものではなかった。

ザウデの頂上でのアレクセイとの対決、そして決着。
事態は一件落着とは言い難かったが、ユーリはアレクセイの死を見届けた。
そこに一瞬の隙が生まれたのであろう。
高い、高い空から海へと向かって落ちる間際に見えたのは、
後悔と自責の念を浮かべて目を見張る、フレンの副官であるソディアの顔。

カランと音を立てて落ちた短剣が、やけに鮮明にユーリの目には映った。










「―――がここにはいないって、一体どういうことだ!?
 アレクセイ!!」


すでに水面へと泳ぐ気力はなかった。
気付いた時には大量の血が失われていたのだ。
まるで自然な流れのように目を瞑れば、
走馬灯のごとく先程までの出来事がユーリの脳裏に浮かんだ。


「言ったとおりの意味だが?
 あの娘はイエガーが攫い、どこかに隠した。
 だからここにはいない。
 ―――・・・全く、余計なことをしてくれる・・・・・・」


頭上に巨大な魔核を擁くザウデの頂上。
駆けつけたユーリたちの前にはアレクセイの姿はあれども、の姿はなかった。
アレクセイ曰く、イエガーがアレクセイの目の及ばぬ所に彼女を隠したという。
イエガーが言いかけたことは正にこの事だったのだ。


「イエガーが!?
 何で奴がそんなことを・・・・・・」
「さあな。それは私の預かり知らぬことよ」


ユーリたちは驚きを隠せなかった。
イエガーがどうしてそんな行為に及んだのか、さっぱり見当がつかなかったからだ。


「なんにせよ、少々の誤算が生じたのは致し方あるまい。
 あの娘には諸君らの相手をしてもらいたかったのだが・・・・・・」
「させるかよ!!」


エステルがアレクセイに操られ、ユーリ達と戦ったのは、まだ記憶に新しい。
それを再び今度はでやろうと、アレクセイは言ったのだ。

そんなこと、誰がさせるものか。
ユーリ達の意思は一つであった。
皆互いの武器を構え、アレクセイへと対峙する。
その気迫は今迄で一番最高のものであった。


「・・・・・・まあ、いい。
 すでに私は強大な力を手に入れた。
 諸君らの抵抗など虫けら以下のものよ」
「―――それは嘘ね」
「なんだと?」


リタの言葉に、アレクセイが眉を顰めた。
それには構わず、リタはアレクセイの背後を指差し、言う。


「それ、まだ解析中でしょ。
 だからあんたはまだ力を完全には手に入れてない。
 違う?」
「・・・・・・リタ・モルディオ、アスピオの天才魔導師、か。
 なるほど、これは迂闊だったな」


先程から微動だにしなかったアレクセイが、一歩横にずれた。
ずれたその場所に見えるのは、薄く光るパネル。
リタの言うとおり、術式の解析をアレクセイはまだ終えていなかったのだ。


「よかろう。ならば、これもまたわが覇道の試練!」


くっと笑ったアレクセイが、腰に差した剣に手を添え、一気に引き抜いた。
すると、中心に嵌った魔核が眩い光を放ち輝き、剣が宙に舞う。
それが、戦闘開始の合図であった。





 














「・・・・・・っ!!」


がばりとはベッドの上で飛び起きた。
額からは汗がぽたり、ぽたりと落ちていく。
直前までずっとうなされていたのだ。
意識が浮上する間際、見えた光景、それには小さく身震いを覚える。


「あ、お姉ちゃん起きた!?」
「院長先生ー!お姉ちゃん起きたよー!!」


ここはどこだ、と思うまもなく、間近で複数の子供の声が聞こえた。
そのうちの一人が部屋の扉を開けて外へと駆けていく。
するとすぐにぱたぱたと誰かの足音がこちらへとやってきた。
子供達の言う、院長先生だった。


「あんた、やっと目が覚めたのかい。
 ずっと死んだように眠っていたから、
 どうしたものかと思っていたところなんだよ」
「えっと・・・・・・すいません、ここはどこなんでしょう?
 それに私は一体・・・・・・?」
「お姉ちゃん、イエガー様に連れて来られたんだよ!!」
「イエガー様がしばらく匿ってほしいって!」


が問うと、矢継ぎ早に子供達が答えた。
その答えは的を射ているようで射ていず、
また、我先にと言葉を発するので声が混じり、は目を白黒するばかりであった。
それにはさすがの院長も苦笑しつつ窘めた。


「これ、ちょっと静かにおし。
 すまないね、娘さん」
「あ、私、と言います」


がすかさず付け加えると、院長はにっこりと笑い了承の意を述べた。


「子供達の言うイエガー様って言うのは、
 この孤児院に寄付をしてくれている方でね。
 そのイエガー様がぐったりとしたあんたを連れてきて匿ってほしいと言ったんだよ」
「イエガーが・・・・・・?
 どうしてそんなこと・・・・・・」


院長の話によれば、ここはトリム港にある孤児院で、
はイエガーによって数日前、連れてこられたとのこと。
そしてほとぼりが冷めるまで匿ってほしいと頼まれた。
いつも傍にいるはずのゴーシュとドロワットの姿は見えなかったという。

分からなかった。
イエガーはにとって、ドンの仇である。
まかり間違っても味方にはなりえない、敵だ。
なのに、イエガーがしたことは、を助けるという行為。
アレクセイの魔の手からを逃したのだ。
考えても考えても、どうしてイエガーがそんなことをしたのか、分かりそうになかった。


「事情は良く知らないけどね。
 償い、なんだそうだよ」
「償い・・・・・・」


瞬間、脳裏に浮かんだのは、気絶させられる間際イエガーの瞳に宿った悲しげな光。
そして抱えられた時のあたたかな、手。
どれも冷酷非道な人間の持つものとは思えないものである。
けれどは信じたくなかった。
信じたら今までの想いが根底から覆されそうで、
は大きく首を振って浮かんだ考えを打ち切ろうとした。


「あれは・・・・・・!」
「あ、ちょっとあんた!!」


ふ、との目に窓の外の光景が飛び込んだ。
目を見張った瞬間、は走り出す。
院長の追う声が聞こえるが、脇目も振らずは孤児院の外へと飛び出した。


昼間なのにどこか暗い、そして空に奔った網目状の模様。
空の裂け目から地面に向けて伸びる、紫色の物体。
が目を覚ます直前見た光景が、正に目の前に繰り広がっていた。


「星喰み・・・・・・」


眠っている間、は夢を見ていた。
誰の意識のかけらなのか、長い長い一部始終の夢を。










「―――災厄!?」
「星喰みか!!」
「あれがザウデの力だと!?そんなはずは・・・・・・」





アレクセイとの戦闘は、一筋縄では行かなかった。
相手は一人とはいえ、騎士団長という地位まで上り詰めた男。
その技量にはユーリたちの誰も及ばないといっていいだろう。
そして完全ではないとはいえ、ザウデのシステムが、アレクセイに力を貸していた。
苦戦は必死であった。

けれども、数時間にも及ぶと思われた攻防の果ての結果は、アレクセイの敗北であった。
それはひとえに、宙の戒典の力のおかげともいえた。
アレクセイの持つ、宙の戒典に似た剣、そしてユーリの持つ、宙の戒典。
両者の剣の力は近すぎたためか、交差するたびに火花が散った。
そして先に壊れたのは、アレクセイの剣であった。

がくりと膝をついたアレクセイに、ユーリは剣を突きつける。
しかしアレクセイの口元には、笑みが浮かんでいた。


「ユーリ!!」
「っ!?」


エステルの叫び声に、ユーリは寸でのところで後ろに跳んで避けた。
空の魔核から発せられた衝撃波が直前までユーリがいた場所に直撃する。


「やはり、その剣・・・・・・、最後の最後で仇になったか・・・・・・。
 だが、見るがいい」


ふらりと立ち上がったアレクセイの剣の魔核が眩く光を放っていた。
そしてそれに呼応するかのように、巨大な魔核の持つ力が膨れ上がっていく。
戦闘しながらも、アレクセイはザウデの解析を続けていたのだ。

アレクセイが示した先、頭上の青空はその色を変えていた。
眩い光を放つ一つの星、それを中心に空に網目状の模様が広がっていく。
魔核から溢れ出した光が空に奔り、ぶち当たると、そこに亀裂が走った。
みるみるうちに空が紫色に染まり、亀裂から何か巨大な紫色の物体が姿を現した。
その姿は、ミョルゾの壁画で見た、災厄、そのものであった。


「あれは・・・・・・災厄!?」
「星喰みか!!」
「あれがザウデの力だと!?そんなはずは・・・・・・」


各々の眼の前で、星喰みに触れられた山が姿を変えて消し飛んだ。
その破壊力は絶大であった。


「どうなってんだ!?  星喰みって、いまのでそんなにエアルを使ったのかよ?」
「違う・・・・・・。  災厄は・・・・・・災厄はすぐ傍にいたのだ」


レイヴンの問いに答えを返したのは、半ば呻くように低く呟いた、アレクセイだった。

災厄は見えなかっただけで、ずっとすぐそこにいた。
打ち砕かれてなど、いなかったのだ。
ザウデという強大な魔導器によってただ封じられていた、
ただ、遠ざけられていたに過ぎなかったのである。
しかし、それが今、アレクセイの手によって開放されてしまった。
ユーリたちは空に出現した星喰みの巨大で禍々しい姿に、呆然と立ち尽くした。


「く・・・・・・はは・・・・・・。
 ―――絶対的な死が来る。
 誰も・・・・・・破滅からは逃れられん。はーっははははは!」


驚愕に目を見開いていたアレクセイが、突然狂気じみた笑い声をあげた。
自分のしでかした事の大きさに、耐えられなくなったかのように。


「いい加減、黙っときな」


ユーリの鋭い眼差しが、アレクセイを睨んだ。
宙の戒典が、一閃する。

袈裟懸けに斬られたアレクセイが再び地に膝をつくと、その正面に強力な雷撃が落ちた。
頭上の魔核が暴走を始めていたのだ。
制御不能なほどにばちばちと火花を散らし、雷撃を放ち続ける魔核がぐらりと、傾いだ。
そしてそのまま、真下にいるアレクセイめがけて落ちていく。


「―――もっとも愚かな・・・道化・・・・・・それが私、とはな・・・・・・」


小さな呟きと共に零した、一筋の涙。
それはかつて真の理想を掲げ騎士達を率いていた、騎士団長本来の姿であったか。
彼が心から流した涙は、間近に迫った巨大な魔核の下敷きになり、消えていった。















ユーリ達と、アレクセイの対決。
ザウデの発動。
そして星喰みの再来。
すべて夢の通りであった。


「ユーリ!ユーリは!?」


夢の通りであるならば、ユーリは最後海に落ちたということになる。
しかも脇腹に深手を負って。

もしかしたらユーリが流れ着いているかもしれない。
淡い期待を持って海岸沿いに目を奔らせるに、
息を切らした院長がようやく追いつく。


「・・・・・・院長先生、あの船は?」
「ああ、あの船かい。
 なんでも、海に人が落ちたらしくてね。
 騎士団が総出で探しているそうだよ」


若干苦しそうにしながらも、院長はの問いに答えてくれた。
海岸から海の向こうへと視線を移したの目には
海の上に浮かぶ大小さまざまな船が映っていた。


「ユーリ・・・・・・」


騎士団総出ということはそれを指揮しているのはフレンで。
それが意味することは、十中八九、海の中にユーリがいるということだ。


「院長先生。この御恩は必ず後で返します!!」


院長の手をギュッと握りぶんぶんと振ると、は孤児院の中へと踵を返した。
そして、ベッドの横によけてあった自分の荷物を手にとり立ち上がる。
すでにその足元には移動の術式が刻まれていて。

ユーリが無事であればいい。 
海の向こう、フレンがいるであろう船を念じて、は跳んだ。