コツコツ、と良く磨きぬかれた床にブーツの音が響く。

ユーリには"彼"と二人で話したいことがあった。
今を逃したら次にいつ彼の本心を聞けるか分からない。
だからこそ、ラピードに制止をかけてまで一人で行動することにしたのだ。

巡回の騎士に"彼"の居場所を尋ねると、城の地下で見かけた、とのこと。
地下と言えば、牢屋しかない。
もはや通いなれたとも言っていい、城の地下への階段を下り、
見張り部屋を抜けて一番奥の牢屋に行ってみれば、
中のベッドに寝転がっている彼――レイヴンがいた。


「・・・・・・本気でくつろいでやがる。
 度胸あんだか緊張感ないんだか」


牢屋の扉を潜り抜けた後、その部屋の主の傍若無人ぶりに、ユーリは呆れた顔で声をかけた。
すると閉じられていたレイヴンの瞼がぴくりと動く。
やはり、本気で寝てはいなかったようだ。
そのままぱちりと開かれた目はユーリを留めると、キョトンとした瞬きを一つ返した。


「おりょ、親友と感動の再会してたんでないの?」
「なんか副官の姉ちゃんがやたらとおっかなくてな」


感動の再会といえば聞こえはいいが、実際はただの現状報告であり、
ユーリがフレンの部屋を去るまでずっと、副官であるソディアがこちらを睨んでいた。
会った当初から変わらぬその態度はいっそ潔いほどで。
そんな彼女の姿を思い出し、思わず苦笑を漏らすと、
固いベッドに起き上がったレイヴンが小さく首を傾げた後、天井を見上げた。


「ん?あーまあ・・・・・・なんとなく分かる気もするけど」
「どういう意味だ?」
「んーいやまああれよ、堅物だからってあんまし逆なでしないことよ」
「別にそんな気ないんだけどな」


何か通じるものがあるのか、レイヴンは頬をぽりぽりと掻くが、
ユーリはひょいと肩を竦めた。
どっちにしろソディアはソディアなりの理由があってのことだし、
それを今、詮索するのは詮ないことだからだ。


「で、おっさんはこんなとこで何してんだよ?
 まさか牢屋が恋しくなったって訳でもないだろ?」


レイヴンと牢屋、この組み合わせを眼にするのは今日が初めてのことではない。
旅をするきっかけとなった水道魔導器事件。
その時にユーリとレイヴンはここで会っているのだ。


「なーんか居心地いいのよね、ここ。
 考え事するにもちょうどいいし」
「考え事?」


狭く、ひんやりとした空間にしんとした空気が漂う。
確かにここは考え事をするにはもってこいの場所であった。
けれども、こんな狭い牢屋に一人閉じこもって何を考えると言うのか。
その問いの答えこそがユーリが彼と二人で話したかったものではないのか。

ユーリはレイヴンの反応をつぶさに見守ったが、
返ってきた答えはおおよそ期待通りとは云いかねぬものであった。


「ここんとこ色々あったしね。
 これからの身の振り方とか、さ」


そう言うレイヴンの表情はいつもと変わらず、
その口元には薄く笑みさえ浮かんでいた。


「レイヴンは・・・・・・平気なのか?」


何が、とは口に出さなかった。
そしてレイヴンも聞き返さなかった。
それどころか笑みを湛えたまま、レイヴンはユーリをじっと見つめ返した。


「そう見えるってんなら、おっさんの道化振りも大したもんよね」


そう言って静かに目を閉じるレイヴン。
次に開かれたその瞳には熱く滾る炎が宿っていた。


「―――今も腸が煮えくり返って飛び出して行きそうなのを必死に押さえてるとこよ」
「レイヴン・・・・・・」


ベッドの上に胡坐をかいたレイヴンの足には、
今にも指が食い込みそうなほど力が加えられていて。


「ぶっちゃけ、俺には世界がどうのって、どうでもいいのよ。
 ちゃんが隣に居さえすればそれで・・・・・・」
「はっ、やっと自分に正直になったな」
「え?」


聞きたかった事、それはの事に他ならない。
なかなか本音を話さないレイヴンに、何度焦らされたことか。
キョトンとするレイヴンを前に、ここぞとばかりにくつくつと笑った後、ユーリはやっと本題に入った。


「おっさん、いつものことが大切で仕方がないって顔してたのに、
 ずっと遠慮してただろ。
 を想う気持ちが本物なら、誰にも遠慮する必要なんてないんだぜ。
 デュークにも、―――オレにも」
「青年・・・・・・」


最後に呟いた言葉。
それには自分でも知らず力が入っていた。
しかし紛う事なきユーリの本心でもあった。


「人生、自分に正直に生きなきゃつまんないぜ?」
「そうね・・・・・・そうよね」
「オレももう遠慮しないしな」


考え込むように小さく俯くレイヴンに向けて、ニッとユーリは口角を上げて笑った。
事実上の宣戦布告である。


「ちょっとー、強敵ばかりじゃないの」
「違いねぇ」


驚いて、笑うレイヴンに、ユーリも笑い返す。
本当に、彼女に関しては強敵ばかりであった。


「それにしてもそんなにおっさん顔に出してたかしら?」
「ああ、知らぬは本人達ばかりなり、ってな」


一番の強敵は自身である。
鈍感な彼女がどこまでわかっているのか、それはさだかではない。
しかし彼女を想う男同士、レイヴンの気持ちをユーリが分からぬ筈がなかった。
抑えようと思っても抑え切れない気持ちは、ユーリも同じであったから。
ユーリの言葉は、ユーリ自身にも当てはまるのだ。


「そういやぁさ、
 エステル嬢ちゃんにこれまでの経緯を話したんさ」
 したらどうなったと思う?」
「?」
「事情は分かったから、皆と同じことをやらせろっていうんだわ。
 で、頭を一回ポカリ。
 それでチャラ」


ひとしきり笑いあったところでレイヴンが話題を変えた。
先だって救出したエステルのことである。
どうやらレイヴンは皆が解散した後エステルに会い、事情を説明したらしい。
その時のことを思い出しているのか、レイヴンの目に真剣さが戻った。

レイヴンがエステルを攫ったことで、エステルは酷い目にあった。
それを知った上で彼女はすべてを許したのだ。
拳骨一つ、レイヴンに与えることで。


「はは、あいつらしいな」
「・・・・・・ちょいとばかし、効いたわ」


天井を見上げながらそう言うレイヴンの口元には笑みが宿っていた。
しかしそれは今までとは違って決して自嘲的なものではなかった。


「さてと面倒だから俺、このままここで寝ることにするわ」
「ったく・・・・・・。
 明日寝坊すんなよ?」


話を切り上げて早々、ベッドにごろりと横になるレイヴンに、
苦笑を返しながらもユーリは体の向きをかえた。
しかし牢屋の扉を出る間際につと立ち止まる。


「レイヴン」
「ん?」


寝転がったレイヴンが再び起き上がる気配を感じた。


「明日は絶対を取り戻すぞ」
「もちろんよ。
 ―――それにこれ、返さないとね」
「そうだな・・・・・・」


レイヴンの手の中でちゃりと音を立てて鳴ったもの、
振り返らずとも、ユーリにはその正体が分かっていた。
レイヴンの言葉に小さく頷きを返すと、ユーリはそのまま牢屋の外へと出て行った。















見張り部屋を抜け階上への通路へと差し掛かったころ、ユーリは不意に立ち止まった。


「自分に正直に、か・・・・・・」


開いた手のひらを見つめながら呟いた言葉は、先程レイヴンに言った言葉であった。
誰も聞く者のいない、小さな呟きは、ユーリ自身の心に染みていく。

深く息を吐き、きゅっと手のひらを軽く握って目を閉じかける間際、
そのユーリの目の端に、銀と赤のコントラストが映った。
そんな色合いを持つ人物など、ユーリは一人しか知らなかった。

はっとして周囲を見渡すが、辺りには誰も見当たらなかった。
しんと静まり返った廊下だけが、ただ、広がっていた。




―――二度はない。お前たちは私の大事なものを傷つけた。それは許す事が出来ない。



―――ぶっちゃけ、俺には世界がどうのって、どうでもいいのよ。
   ちゃんが隣に居さえすればそれで・・・・・・。




ユーリの脳裏に、二人の言葉、
二人の決意を秘めた眼差しが浮かんでは、澱んでいく。


「・・・・・・」


今やユーリのいる廊下は、沈黙だけが支配していた。
今度こそ固く拳を握り締めると、ユーリは歩き始めた。
コツコツと、ブーツの音だけが、響き渡って消えていった。