「くっ・・・・・・」
身を切るような冷たい水はの体温を確実に奪い、
手足はかじかんで、次第に動かなくなっていく。
カロルを庇い、魔物の尻尾によって海へと叩き付けられたは、浮かびあがろうと必死でもがくが、
もともと泳ぎが得意でなかった上、寒さに痺れた体は、意思に反して全く動こうとしない。
徐々に下へ下へと沈み行く体に、半ば諦めを感じ、は硬く目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、悲しそうに、自分を殺してと告げたエステルの顔。
誰よりも仲間と共に居たいと思っていた彼女が、それを決心するのはどれほどの勇気が要ったことか。
そんな彼女をまだ、自分は救い出せてはいない。
怒ったような、困ったような、そんな表情をした仲間の顔が次々と浮かんでは消える。
最後に浮かんだのは、諦めるな、とを叱る、瞳に強い光を宿したユーリの顔。
宵闇色の澄んだ眼差しは、常に自分達を先へ先へと導いてくれた。
このままでは、本当にユーリに叱られてしまう。
くすりと小さく笑い、は硬く閉じていた目を開こうとした。
すると、全く光の届かなかった水底に一筋の光が差し込んでくる。
それは自分を呼んでいるようで、
は一縷の望みを託して、光に向かって手を差し伸べた。
「、おい!!しっかりしろ!」
「ん・・・・・・?ユーリ?」
ぺちぺちと頬を叩かれる感触に、は重い瞼を持ち上げる。
目の前には心配そうな表情を浮かべるユーリの顔。
はユーリに抱かれる形で、水面に浮かんでいた。
自分は確か海へ沈んだのではなかったか。
混乱する記憶を必死で整理したは、はっとしてユーリの顔を凝視する。
「カロル、カロルは!?」
ぷかぷかと海に浮かぶ状態では、分厚い氷の上は窺い知ることが出来ない。
他の皆はどうしたのだろうか。
先程よりは動くようになった手足をばたつかせて、向こうへ泳ごうとすると、
「落ち着けって」
と、ユーリがを抱く腕の力を強め、制止する。
「でも、皆が!!」
「大丈夫だって、向こうには優秀な前衛がいるからな」
「前衛・・・・・・?」
が怪訝な顔を向けると、
「我らが首領のことだよ」
ユーリは片目を瞑り、笑みを浮かべた。
ユーリ達の首領と言ったら、カロルのことしかない。
は小さな体に勇敢な心を秘めていた、彼のことを思い浮かべる。
「カロルが・・・・・・。
―――!、エアル、エアルはどうなったの!?
どうしてユーリがここに!?」
「やっと気付いたのか・・・・・・」
ユーリがここにいるということは、エアルクレーネは沈静化したのだろうか。
がそれを問うと、ユーリは溜息を吐く。
「それもカロルがなんとかした。
俺がここに来たのは、あんなかで一番泳ぎが得意だったから。
お前、あまり泳げないんだから無茶すんなよな・・・・・・」
碌に戦えないくせに、魔物の前に飛び出したことといい、無茶したのはそれだけではないのだが、
ユーリはぺちりと、の額を叩く。
海へと沈んだまま上がってこない彼女を心配して飛び込んだはいいが、
暗い水の中は全てを包み隠して、なかなかを見つけることが出来なかった。
徐々に焦りを帯びるユーリの目に、底の方で何か、ぽうっと小さな光が宿るのが映る。
それは自分を導いているかのように見え、急いでそちらに向かうと、
エアルがこの水の中にも届いていたのか、の髪が淡く光り輝いていた。
なんにせよ、それが道標となり、ユーリはを見つけることが出来た。
そうしてユーリは気を失った彼女を腕に抱き、やっと水面に浮かび上がったのだった。
「ごめんなさい・・・・・・。
カロルが危ないと思ったらつい・・・・・・」
がしょんぼりと頭垂れる。
「ったく・・・・・・。
―――ほら、行くぞ」
「え、どこへ?」
「カロルたちんとこ。いつまでもこうしてるわけにはいかないだろ?」
再びペちりとの額を叩いた後、ユーリはを抱えたまま陸へと泳ぎ始めた。
少し赤くなった額を押さえ、きょとんと目を瞬くは、先程の事ももう忘れたようだ。
それに苦笑して、「まぁ、このままでも悪い気はしないけど?」とユーリは軽口を叩く。
「なっ・・・・・・!!」
水に濡れた衣服はピッタリと密着し、肌と肌とはその温もりが分かるほど、親密に触れ合った状態だ。
それに気付いたは耳まで赤くして、バシャリと水面を揺らす。
平気で男の懐にもぐりこむくせに、今度はこの反応だ。
の基準は全く理解不能だが、ユーリは声をあげて笑うと、再び泳ぎ始める。
「んじゃま、が茹で上がっちまう前に戻るとしますか」
「・・・・・・・・・・・・」
の無言の抗議は、笑うユーリには届くことはなかった。
「!大丈夫だった!?」
氷の上にようやく上がると、心配そうな顔のカロルが駆け寄ってきた。
「カロル、あなたこそ・・・・・・。
あなたがユーリ達を助けたってユーリから聞いたわ」
「そんな、ボクなんて・・・・・・」
謙遜するカロルの頭を、「頑張ったのね」と撫でる。
すると、カロルは顔をふにゃりと歪ませて、泣きそうになる。
仲間の危機に、立ち向かいはしたが、やはり内心は怖くて仕方がなかったのだろう。
微笑み、再びカロルの頭を優しく撫でると、は皆へと視線を向ける。
「でも、本当に皆無事でよかったわ」
「それはこっちの台詞よ。
ちゃんが海に落ちたって分かった時、
おっさん今度こそ本気で心臓止まるかと思ったわよ」
「ごめんなさい・・・・・・」
そう言って俯くは濡れ細ぼり、その姿はいつもよりもか細く、小さく感じられた。
それを見たレイヴンは、に近寄ると、
「ほら、これでもかけてなさいって」
優しく囁き、紫の羽織を脱いでその肩にかけてやる。
「え、でも、レイヴンは・・・・・・?」
ぱさりと音を立てて自分の肩に掛けられたものに驚き、顔を上げて目を瞬く。
それにレイヴンは片目を瞑って笑ってみせる。
「おっさんはいいのよぉ〜
ちゃんのためなら我慢できるわよ。
―――それに青年ばかりにいい格好させらんないし」
最後にぼそりと漏らした言葉は、半ば本心に近いものであった。
「でも・・・・・・」と尚も譲らないに、レイヴンは悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。
「そうね〜ちゃんがキスの一つでもしてくれたら、
おっさんもっと頑張っちゃうかも?」
「キス、ね・・・・・・」
それきり、俯いて黙り込んでしまったを見て、
レイヴンは「冗談、冗談よ〜」と笑い飛ばそうとしたが、その頬に、柔らかくて温かなものがあたる。
「え・・・・・・?」
驚いて一歩下がるレイヴンに、小さく微笑みを返すと、はつかつかとユーリとカロルの元に行き、同様にその頬にキスをした。
「なっ!?」
「ちょっ!?」
呆然と立ち尽くす男達に、「3人とも頑張ったから」と輝くばかりの笑顔を浮かべる。
横目でちらりとそんな彼らの様子を伺い、リタは呆れて溜息を吐く。
「あんた、そんな誰彼構わずキスするの止めた方がいいわよ」
「あら、私そんなに見境なくないわよ。
―――後はそうね・・・・・・ドンとハリーぐらいかしら?」
「ハリーも!?」
ドンという名前を口にした時、の瞳が翳ったのをレイヴンは見逃さなかった。
だからあえて素っ頓狂な声をあげ、
「あいつ、今度会ったら一発殴らなきゃ気が済まないわ」
そう言っておどけて見せる。
「ほどほどにしなさいな」
「ジュディスちゃんがそう言うならやめてもいいけど〜」
「ちょっとレイヴン!!」
ジュディスが肩を竦め、にこりと笑うのが見える。
ジュディスもきっと気付いたのだろう。
レイヴンが調子に乗って彼女に擦り寄れば、がその耳をむんずと掴む。
「痛い!痛いってちゃん!!」
いつもの彼女に戻ったのはいいが、掴まれた耳は今にもちぎれそうだ。
レイヴンが悲鳴をあげると、ようやくは掴むその手を離してくれた。
ひりひりと赤くなった耳を摩り、涙に滲む目をに向けるが、原因となった張本人はどこ吹く風である。
「・・・・・・ま、なんにせよ、皆無事でよかったよ。
これもカロルのお陰だな」
情けない顔をして俯いてしまったレイヴンを一瞥し、ユーリはカロルへと視線を向ける。
しかし、カロルはふらりふらり、と体を揺らしたかと思うと、瞬間、氷の上へと倒れ伏した。
「カロル!おい!カロル!!」
慌ててカロルの元へと駆け寄り、体を抱き起こすが、声をかけても、反応がない。
目を閉じたまま、その額には汗が浮かんでいた。
「ユーリ、見せて」
そう言って、ユーリの隣に座り込み、はカロルの額に手を当てる。
すると、手のひらから漏れる、僅かな光。
その光は一瞬輝いたかと思うと、すぐにカロルの体に吸い込まれるようにして消えた。
「力、戻ったのか?」
「少しだけね。今の私にはこれが精一杯」
「ちゃん何したの?」
「外傷というより、心因的な問題みたいだったから、
私の体力を少し分け与えただけよ」
ユーリとレイヴンの問いに答え、立ち上がる。
ふらりと少し立ち眩みを感じたが、我慢できないほどではない。
「つまり、気を失ったのは、安心して気が緩んだからってことかしら?」
「そういうことね。
直に目を覚ますと思うわ」
ジュディスの問いにも笑って答えると、隣にいたリタが、カロルに向かって小さく溜息を漏らした。
「ったく・・・・・・エステル助けに行くのにあんたが先にやられちゃったらどうすんのよ」
「ま、そういいなさんな。
男にゃ勝負時ってのがあるのよ。
おかげで助かったわ」
「ああ。カロルがいなかったら、
オレたち今頃あいつの胃の中だ」
「あんな魔物においしく頂かれちゃうのは正直嫌よね〜」
「ワン!」
そう言って、皆笑みを浮かべる。
カロルの勇敢な行動によって危機は脱しられた。
それは既に皆が認めることだ。
今はすやすやと、眠る小さな英雄に、は「お疲れ様」と小さくエールを送る。
「さ、早くここを抜けましょ。
弱ってるカロルには辛いはずよ」
そう提案すれば、強く、頷く仲間達。
「ええ」
「ありがとな、首領」
「格好よかったわ」
ぽん、ぽん、と次々にカロルの頭に手が置かれ、皆が優しく微笑んだ。
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