見渡すばかりは漆黒の闇であった。
その闇の中にずぶずぶと自分の体が沈みこんでいく。
それが無性に怖くて、懸命にもがいた。
けれど、もがいても、もがいても、体は沈み込む。
それでも闇に身を任せたら、自分が自分でなくなりそうで、は虚空に向かって懸命に手を伸ばした。
すると、の体は不意に落下した。


は暗い部屋の中で目を覚ました。
どうやらベッドからずり落ちたらしい、ベッドのシーツを巻き込み、の体は冷たい床の上にあった。
そのまま呆然と、暫く天井を見つめていたが、虚空に伸ばしたままの自分の手が目の端に映る。
は目を瞬き、それを手元に引き寄せようとした。
しかしその時、その手を誰かが握るのを感じた。
その温もりに自分の冷え切った手が、僅かに温かくなる。


「デューク・・・・・・?」


が起き上がり、自分の手の先を見つめると、そこにあるのはただ、悲しげな光を宿した空色の瞳。


「レイ、ヴン・・・・・・」


ははっとして涙を拭うと、空色の瞳の彼、レイヴンの名前を呟いた____















レイヴンはの部屋の前でずっと立ち尽くしていた。
彼女の様子を見てくるとは言ったものの、彼女は寝ているらしいし、仮に起きていたところで、自分に一体何ができるというのだろうか。
そう考えると、入室が躊躇われるわけで、じっと彼女の部屋の扉をみつめた後、扉をノックしようとするが、
それを躊躇って手を下ろし、またじっと扉を凝視しては、扉をノックしようと手を上げるといった永遠のスパイラルに陥っていたのだ。
そんな中、部屋の中からゴトンという何かの物音がしたのに気付き、彼女の身に何かあったのか、とレイヴンは急いで部屋の扉を開けた。

レイヴンが部屋の中に入ると再び、ベッドの横でコトンと物音がする。
あの物音はがベッドから落ちた音だったのだろう。
そちらに目をやると、床一面に彼女の銀色の髪が花弁のように広がっていた。
レイヴンはそっとそちらに近づく。
しかし、はこちらに気付かず、彼女のその目は天井を虚ろに見つめ、その手は虚空に向かって伸ばされていた。
レイヴンにはその伸ばされた手が何故か物悲しく映り、自分の手を伸ばしてそっとその手を握り締めた。


「デューク・・・・・・?」


彼女の呟きは、か細く今にも消え入りそうな声であったが、レイヴンの耳に、それはやけにはっきりと入ってくる。
レイヴンはすっと目を細めた。

は彼女の手を握った自分に向けて、かの英雄の名前を口にしたのだ。
そう、いつも彼女は彼の事ばかりで、いつも自分は気に病むばかりだった。
そこに自分の立ち入る隙は永遠に無いのだろうか。
死よりも虚ろな道を歩む自分に希望の光を与えてくれたのは彼女だ。
彼女が自分に手を差し伸べてくれるたびに、自分はこの上のない幸福を味わう事ができたのだ。
今、その彼女の手は自分の手の中にある。
レイヴンはの手を握る力を強めた。


「レイ、ヴン・・・・・・」


暫くして、再びか細い声が暗い部屋の中に響いた。


「どうしたの?ユーリ達はもういっちゃったよ?」


は彼女の顔をじっと見つめる自分に対し、笑いかける。
それはどこか、無理のある笑顔で、彼女が笑えば笑うほど、それは歪んでいった。
そんな彼女をこれ以上放って置けない、それ以上無理して笑わなくていいと、レイヴンは自分の胸にを引き寄せ、力の限り抱きしめた。


「レイヴン?苦しいよ・・・・・・」


力を込めすぎたか、はレイヴンの腕の中で苦しげに息を漏らした。
レイヴンはそれにも構わずに彼女を抱きしめ続ける。
いままで押え続けてきた、彼女への想いが堪え切れず、溢れ出すのを感じる。


「なぁ、・・・・・・。
 ・・・・・・俺じゃだめか?」


暫くずっとを抱きしめていたレイヴンは、腕の力を緩めると、彼女の顔を見つめた。


「え・・・・・・?」


はレイヴンの言った言葉の意味が良くわからないのか、小さく首を傾げる。
そんな仕草も愛おしくて、レイヴンは再びぎゅっと彼女を抱きしめる。


「あいつは今、お前がこんな状態なのに傍にいないじゃないか。
 あいつより俺が・・・・・・俺が傍にいてやる。
 俺がお前をどんなものからでも守ってやる。
 俺はお前の両親やドンみたいに簡単に死なない、・・・・・・死ねないんだ!!」


最初は囁くように、最後は畳み掛けるようにレイヴンは言った。
そうでないと、すぐに彼女がこの腕から逃げてしまいそうで、不安だった。


、俺と一緒に行こう?」


レイヴンはから少し身を離し、驚きに目を見開いた彼女の右手に向かって、その手を差し伸べた。


「レイヴン・・・・・・・」


差し伸べられたレイヴンの手をその目に映しながらも、の瞳は揺れ動き、何かに迷っているようだった。
レイヴンは辛抱強く彼女の次の言葉を待った。
しかし、続く彼女の答えは自分の期待するものとは反対のものであった。
彼女は「デュークを裏切る事など出来ない」と自分にそう言ったのだ。
やはり自分は、デュークには敵わないのか。
その事実を思い知らされ、レイヴンは唇をぎゅっと噛み締めた。
噛み締めた唇から流れ出る血に、は驚いたのか、泣きそうな顔で自分の顔を見上げている。
レイヴンは今の惨めな自分の姿をこれ以上彼女に見て欲しくなくて、からさっと顔を背けると、立ち上がった。


「それじゃ、俺様、青年たちの所にいくわ」


そうに告げるレイヴンの顔に今あるのは、彼女を想う男の表情ではなく、道化の役としての仮面であった。















「あ、レイヴン!!」


レイヴンがの部屋を出て、首領の部屋に戻ると、エステルがこちらに気付き、片手を挙げた。
部屋の中にはエステルの他に、リタとラピードと、すでにカロルのところから戻ってきたユーリがいた。


「・・・・・・どうでした?」
「おっさんじゃダメだったわ。やっぱりあいつじゃないと・・・・・・」


エステルの心配そうな声に、レイヴンは小さく笑って答えた。


「あいつ・・・・・・?」


レイヴンが囁くようにして言った最後の言葉をリタは拾ったらしい、訝しげに首を傾げる。
ユーリは顎に手をあて、何かを考え込むように俯き、エステルは目をぱちくりと瞬く。
レイヴンは頭の後ろに両腕を回して組んで、空を仰ぐと、


「ん〜ん、なんでもないわ。おっさんの独り言よ。細かい事は気にしないの」


と、リタに返した。


「ふ〜ん」
・・・・・・」


リタはまだ納得がいかなそうな顔をしていたが、「それで、どうするの?」と、ユーリに顔を向け、尋ねた。
ユーリはその問いかけに、顔を上げる。


「・・・・・・しょうがねえな。
 ジュディの事も後回しにはできないし、とりあえずオレ達だけでいくか」
「そう、ですね・・・・・・」
「んじゃ、ちゃっちゃと行きましょ。
 その後にでもまた、ここに寄ればいいし」
「リタ・・・・・・!」


リタは扉の前まで歩き、皆を促したが、エステルは嬉しそうに顔をほころばせながら、リタの目の前まで歩いていく。
レイヴンはその光景をにやにやと見つめていた。


「な、なによ」


それに気付き、声をあげるリタ。


「天才少女も素直じゃないねぇ。
 心配なら心配って言えばいいのにぃ」
「う、うっさいわね!ほ、ほら、さっさと行くわよ!」
「あ、リタ待ってください!」


リタはレイヴンの言葉に顔を真っ赤にしてうろたえると、腕を大きく振り、部屋の外に出て行ってしまった。
エステルはそれを追いかけようとしたが、途中で立ち止まり、ユーリを振り返る。


「・・・・・・カロルは、大丈夫でしょうか・・・・・・」
「心配すんなっつったろ」
「でも・・・・・・」
「アイツはこんなとこで終わりゃしない。必ず来る」


ユーリは力強くそう言ってみせると、「さ、行こうぜ」と先を促した。















ユーリ達が船に乗り込み、そう時間もたたないうちに、ユーリの言ったとおりカロルはやってきた。
カロルはユーリに「ここで仲間を放って置いたらもう戻れなくなる、だから一緒に行きたい」と言い、またユーリに認めて貰うまでは首領としてじゃなくてギルドの一員として頑張るとまで言った。
やはりカロルは自分の思ったとおりの男だった。いや、自分が思っていた以上の成長振りを見せ付けるカロルに、ユーリは小さく口角を上げた。


「・・・・・・わかった。カロル。がんばれよ」
「うん!」
「ほんっとギルドって面倒。アツ過ぎ。バカっぽい」


満面の笑みを浮かべるカロルに向かって、リタは腕を組み、呆れたような声をあげた。


「んむんむ。青春よのう」
「えっ!レイヴン?!」


カロルがレイヴンの声に驚きの声をあげる。
丁度、レイヴンはカロルから死角になる位置にいたので、カロルからは見えなかったのだろう。
レイヴンはそのまま、カロルの前まで出ると、「若いって素晴らしいねぇ」としみじみ頷いた。
カロルは目を丸くしながら、レイヴンに顔を向ける。


「レイヴン、何してんの?」
「えー、おっさんがここにいちゃだめなの?」
「だって、ドンが亡くなった後で大変って・・・・・・」
「そういやそうだったな・・・・・・」


の事もあり、あまりにも自然にレイヴンが馴染んでいたから、ユーリはすっかりその事を忘れていた。
確かに、レイヴンはユニオンの連中に引っ張りだこにされるぐらい忙しかったはずだ。
その事を踏まえて、ユーリはどうすんだ、という視線をレイヴンに送った。


「んー。色々と面倒だから逃げてきちゃった」


しかし、レイヴンは頭の後ろで腕を組むと、そっぽを見ながらそう返した。
そんなレイヴンにカロルは呆れたような顔を向ける。


「ドンに世話になったんでしょ。悲しくないの?」
「ああ、悲しくて悲しくて、喉が渇くくらいに泣いてもう一滴も涙は出ない」
「全然、そんなふうに見えないけど」


こちらに背を向け、耳の片方を穿りながら言った台詞には全く説得力がなく、リタは半眼でレイヴンを睨んだ。
ユーリは軽く苦笑すると、レイヴンに顔を向ける。


「さすがのおっさんもドンの最後の言葉も無視できないって事だろ」
「ん、んなわけないってーの。言っただろ、俺には重荷だって。
 あっちはあっちで、後に残った奴らが、きっちりやってくれるって」
「ま、そういうことにしておいてやるよ」
「ったく。最近の若人は怖いわ」


全く自分の言う事を信じてくれないどころか、こちらをからかう素振りを見せるユーリに、レイヴンはがっくりと肩を落とした。
その時、カロルがきょろきょろと、何かを探すように、周りを見回し始めた。


ならいねーぞ」


ユーリはその行為が意味する事を思い当たり、カロルにそう言った。


「え、どうして・・・・・・?」
「それは・・・・・・」
「・・・・・・」


カロルの問いに、エステルは言い淀み、リタは黙り込んだ。
ユーリはじっと虚空を見つめた後、目を伏せる。


「親代わりのドンを失くしたんだ。しばらくはそっとしておいてやろうぜ」
「そっか、そうだよね・・・・・・」


確かにのその悲しみは計り知れないほど深いだろう、カロルはユーリの言葉からそれを察し、小さく俯いた。


「それじゃ、デズエール大陸に出発かな」


ユーリ達の間になんとも言えない沈黙が続く中、レイヴンの妙に明るい声が響いた。
カロルはレイヴンの言葉に首を傾げる。


「え?なんでデズエールなの?」
「テムザ山はコゴール砂漠の北にあるのよ。
 それにあそこにゃ、確かクリティア族の街があったしな」
「なんで、そんなこと知ってるのよ」
「少年少女の倍以上生きてると、人生、色々とあるのよ」


レイヴンはしみじみとしながら空を見上げる。
リタはわけの分からないレイヴンの理屈に「なにそれ」と首を捻った。
それをさらりと受け流したレイヴンは「ほれ、行くならいこうや」とユーリ達を促した。